Sing a song for today

明日を憂う前に、今日を生きる。今日を唄う。

🎥 映画【君が生きた証】:弔いの唄

※ネタバレ含みます※

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■原題と邦題
原題は「RUDDERLESS」。劇中ではバンド名として使用され、日本語字幕では“舵のない船”と意訳されていた。若いバンドメンバーはそのバンド名について「ちょっとカッコつけすぎたかな」とか言ってたけど、ボートで暮らすサムの生活やクエンティンの生い立ち等々、色々なものを表す単語だった。

邦題は「君が生きた証」。賛否両論あるみたいだけど、わたしは上手くつけたなと思う。導入から既にミスリードは始まっていたのだ。

■息子を失った父親の再生と贖罪
脚本のミスリードにまんまとひっかかり、中盤で明かされる真実に衝撃を受ける。単なる「息子を失った父親の再生物語」ではない。サムの息子ジョシュは「撃たれて」ではなく「撃って」死んだのだった(※自殺か警察の発砲なのかは分からない)。サムがマスコミに追い回されていたのは加害者の父親だったから。息子を失った哀しみで堕落したのではなく、社会的に殺されたのだと思うと見方が変わってくる。遺品を受け取りたくなかったのも、息子の死という事実だけでなく、その理由を受け入れたくなかったのだと。

観賞前のレビューで目にしていた「贖罪」とは、中盤まで「父が息子を理解できないまま失ってしまった」ことに対してだと思っていた。が、そこには「他人の命を奪ってしまった」ことが含まれていたのだ。

ジョシュの犯行理由を明かさないところも色々な想像ができて興味深い。母親が自身に言い聞かせるように言ったのは「あの子は病気だった」。 イライラが募り衝動的に撃ったのだろうか。
パンフレットのメイシー監督インタビューを読むとあえて描かなかったことがわかる。たしかに加害者家族はある種の被害者なのかもしれないと思った。それでも、子供の責任は親にあるとも思うけれど。

サムはジョシュの唄を歌うことで、少しずつ彼を(無意識にも)弔っていく。クエンティンに息子の面影を感じながら。息子とできなかったことを彼と。母子家庭に育ったクエンティンもまた、サムへ父親への愛情に似たものを感じていたはず。

サムが息子の曲だと打ち明けず、人前で演奏することを拒んだのは、プライドの問題なんかじゃなかった。それが「殺人犯」の曲だったからなのだ。
クエンティンがイベントでの演奏を頑なに拒否したのも、「サムに裏切られたから」なんて(ある意味)ちっぽけな理由ではなく、社会的に許されざる人間の曲だと知ってしまったから。自分たちのものとしてやり続けてはいけない曲だったからだ。

でもそれが結果的に、気弱なクエンティンに自らの曲を演らせるきっかけになったのかもしれないと思うと、皮肉なものだと思う。何人もの命を奪ったジョシュに、クエンティンは生かされたのだ。

そして死んでしまったジョシュの音楽もまた、サムやクエンティンにより生かされた。

人が本当に死ぬのは、その人のことを覚えている人が居なくなったときだというのはしばしば言われることだ。その点、作品は作者よりはるかに長く生き続ける。手に取る人、再生する人がいる限り。そうして「君が生きた証」は残り続ける。

最後、息子のことを告白してから、"My son" と繰り返し歌うサムに切なくなった。と同時に、あの瞬間「贖罪」し、息子の死を改めて受け入れられた彼は、これから少しずつ「ちゃんと」前に向かっていけるのだろうと思った。


■劇中音楽
「祈りを捧げるために用いる『手段』だった唄が、いつしか『歌うための唄』になった(=目的化)」という話がある。
この作品の中でジョシュの曲は、サムにとって贖罪の手段だったけれど、いつしかラダーレスのための曲になった。
目的を失くしても尚魅力のある音楽。ある意味で理想的だと思えるから、哀しくて笑えてしまう。

「ちょっとやってみた」と曲をどんどんバンドサウンドにしてしまうクエンティンたちが微笑ましかった。バンド組みたかったんだなぁって。ギターロックが帯びる若さと情熱。若い3人に囲まれたときのサムはおじさんではなく、まるで若者だった。

ジョシュのオリジナル(アコギ弾き語り)にはジョン・メイヤーのファーストアルバム【Room For Squares】を想起したし、クエンティンたちによるバンド演奏は観客と一緒に踊りたくてたまらなくなった。

各曲のクオリティが本当に高くて、サントラが欲しくなったので調べてみたら、以前お仕事で関わらせていただいたレーベルから出てた。近いうちに買うかも。

この映画、俳優陣が唄も楽器もお上手なのが素晴らしい。クエンティン役のアントン・イェルチンのバンド音源も聴いてみたいな。

★5:結末を知った上でもう一度=計2回以上観たい作品。

君が生きた証

君が生きた証

愛はいつも君の中で光る


あまりに疲弊した夜、思わず呟いていた。

「かつて喉から手が出るほど欲しかった未来、手に入れたときにはもう欲しくなくなってる。夢にも賞味期限があるのかもしれない。もうこの未来は美味しくない。」

同い年のフォロワーさんから言葉が返ってくる。

「美味しくなくなってしまったことがたまらなく悲しくて、認めたくない時はどうすれば良いのでしょうか」

そのまま続く会話。

「①美味しくなるように味付けを変える
②「美味しくなぁれ♡」って魔法をかけるw
③お腹壊すのが嫌だから別の美味しいものを探す
とかとか。」

「②にして 萌え萌えキュンキュン♡ばりの呪文を唱えるコースにする!。・*・:≡( ε:)笑
美味しくないわけがないんだもの。」

「いいね!笑
そうだよねぇ、味覚が変わっちゃった気もするけど、美味しいって思ってた頃の自分を取り戻せたら良いなぁとは思う。。」


上長から、来期やりたいことを聞いてもらえた。
その場では満足に答えられなかったけど、1日猶予をもらって考えてみたら色々出てきた。

“好きなのってなんだろう
したいのってなんだろう
大切にすべき事さえ見失うのかい”


アラカルトのイメージだった未来は案外バイキングで、並べられた料理の中に、まだ食べてみたいものが残ってる。
でも現状は、和食が好きなことを自覚(そして一応主張)しながら、並ぶのが嫌で、すぐ入れる多国籍料理のバイキングに来てしまったが故に和食にありつけてない感じ。そしてそこの和食が美味しいかどうかは分からない。みたいな。

でもまだまだフレンチもイタリアンも中華も、タイ料理もバスク料理も、何でも食べてみたい感じ。

実際、この前カエルの唐揚げを初めて食べたんだけど、普通に鶏肉みたいで美味しかったので(笑)、食わず嫌いしないで何でも好きになる努力はしたい。

辞めたいと思うほどまだ仕事してない。
私の中だけで光らせておくには勿体ない、この愛。

🎥 映画【永遠の0】:生きたいと言えなかった時代


テレ東でドラマ版が放送されてたので、書きかけだったものを引っ張り出してきた。

▼時代感と主人公
・死を死でもって弔おうとする時代の異常さ。突き進むしかなかった哀しさ。違う世界の出来事のようで、たしかに現実に起きていることだと思うと恐ろしくなる。愛する人のために生きることは許されず、死ぬことが美徳とされた時代。
岡田准一さん演じる宮部久蔵は、家族想いの賢いひと。誤った方向へと突き進む軍の上層部との対比。

▼被害者
風立ちぬ】を観たときもそうだったけど、私は薄幸のヒロインに弱い。感情移入してだいたい泣く。健気に頑張る奥さん。死の便りは必ずしも届かない中、信じることしかできない辛さ。
最前線で戦うのは男性でも、女性だって子どもだって搾取されたり酷い思いをさせられたりしていて、国民は戦争の前で等しく被害者なのだと改めて思う。

▼若者像
途中で出てくる友人たち&合コン相手の女達が、いかにも馬鹿っぽくて呆れた。今時の若者像のつもりかもだけど、「サイパン沖縄ハワイ」なんてわかりやすいチョイスするか!笑。そもそも4年も司法浪人してる奴を合コンに誘うか…。
「若者は何も考えてない」って言われた気分になった。

▼気になったところ
全体的に悪くなかったけど、終盤のおじいちゃんの台詞は若干押し付けがましく感じた。「生き残るとはそういうことだ」とか、観た側が感じればいいことであって。ここでも若者が見くびられてるように感じてしまった。

▼全体
・戦時中と現代、2軸で描き出される様は観ていて不思議な気分にさせられた。確実に連続していることを実感する。
・「犠牲の上に自身の生が成り立つ」というのが、入れたかった思想のひとつなのかなと。
・「戦争は良くない」という思想は良くも悪くも押し付けてこない。ただし戦争そのものは否定しつつも、特攻隊個人へ感情移入させられることによって、どこか礼賛・美化している風になっているのが気にかかった。
・原作読めてなくて、映画観た後は読む気もなくなってしまったのだけど、著者の別作品も合わせて読んでみて、また考えたい。

永遠の0 (講談社文庫)

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海賊とよばれた男 上

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モンスター (幻冬舎文庫)

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★4

【♪】2015.2.4 Base Ball Bear「LIVE IN LIVE vol.1〜HELLO, NOSTALGIA編〜」@渋谷CLUB QUATTRO

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▲インディーズ時代チックなチラシ made by ほりくん(笑)

クアトロ大好き!!!勝手にホーム感!!!
真ん中らへんに居たけど、近くてメンバーもよく見えた。800キャパだし、ぎゅうぎゅうだったなー。
セトリ覚えるの必死だったけど(笑)意外と覚えられてた。初めて聴く曲ばっかりだった気がする!楽しかった♡

【セトリ】
★本編
極彩色イマジネイション / つよがり少女 / YUME is VISION
--MC--
空飛願望 / 向日葵の12月 / 君のスピード感 / 東京ピラミッド
--MC--
微熱ボーイ / TRAGIC HEROINE / Aimai Memories / April Mirage
--MC--
ラビリンスへのタイミング / 彼氏彼女の関係 / ダンス湯浅将平〜SAYONARA-NOSTALGIA / 夕方ジェネレーション
★en.
SUNSET-KI・RE・I / HIGH COLOR TIMES
★en.2
CRAZY FOR YOUの季節

【雑感】
★セトリ
“俺は思い出主義者” (Aimai Memories)からの “気がつけばいつの間にか薄れてくノスタルジア(April Mirage)で、何となくだけど、ぐっときた。
・本編ではシャウトする曲(向日葵の12月とか)もトーン抑えめに歌ってて、若さ(よく言われてた所謂ナンバガっぽさ)を出さないようにしてるのかと思ったけど、アンコールではサンセットもハイカラもシャウトしてて。「あの頃」は無かったことにはなってないんだなって安心した。いつまでも夕方はキレイで、色鮮やかに残ってるのかなって。
・「インディーズの曲ほとんど演りましたよ」って言われたけど『サテライト・タウンにて』も『少女と鵺』も聴きたかったな〜笑。次回?に期待!!
・Wアンコ、つまり最後をCFYの季節で締めるの、粋だった。ちゃんと今に帰ってきた感じがした。MCのバックトゥザフューチャーの話じゃないけど。笑
「新曲を作ってる期間にインディーズ時代の曲ばかりのライブを演るなんて」って本人たちも笑ってたけど、いま演ることで曲を復活させる感じ、賢いなって思った。1回やったら次からも使えるだろうし。。
・若い頃の曲を演るのは「コスプレみたい」っていう感覚、じわじわくる。その時代のキャラみたいなのってあるもんね。。

★メンバー
・夕方で「ギター俺っ!」って演り始めた時のこいちゃんのドヤ顔、今日イチの胸キュンポイントだった。笑
・「当時、閃光ライオットに出てたら優勝してた」っていう発言、凄く良かったw ロキノン界を飛び越えた評価がもうちょっとあっても良いのにって思うけど、アプローチとタイミングの問題なのかな。
・ダンス湯浅将平セクシーすぎわろた。なんか…艶かしかったw
・関根嬢も色気が増してた。低い姿勢でベース弾いてるとき、紫のオーラが出てた。ニコニコ笑ってたの天使みたいだったな〜(´ω`)
・ドラム叩いてるほりくんの笑顔が最高だった。あとMCで、インディーズ時代を再現して「チラシが入ってます」って告知の告知するの超笑ったw コーラスもっと聴きたかったなー!

★他
・「LIVE IN LIVE」次回のテーマにも超期待。個人的にはMCで上がった「アルバム再現」とか超つまんないからやめてほしい。笑。せっかくコラボやら楽曲提供やらしてるんだから、ゲスト呼びまくって「feat.〜〜」しばりのライブとか観たいな。お金かかりそうだけどw
・6/13(土)「日比谷ノンフィクションⅣ」も楽しみすぎる!

未来とすれ違う今日

※ちょっといま苦しいです、というお話。暗め。。









東京の大学生だった頃は好奇心旺盛で、なんでもとにかくやってみたいと思ってた。失敗してもネタにできたし、むしろそれを楽しんでた。生きてきた中で手にした最大級の自由。お金や時間の面で諦めることもあったけど、今じゃなくても未来にはきっと何でもできる、そう信じて疑わなかった。

今はそんな余裕もなくて、ただ日々に追いつかれないよう必死で息をしてるだけ。たまに学生時代の友人に会って話せると、自分を取り戻した気になる。それも家に帰ればまた失ってしまう。
自分のままで生きようとすると噛み合わなさを感じるから、自分のことをあまり話したくないと思うようになった。そのうち、自分のことを話すのが苦手になってきた。うまく説明できないもどかしさを日に何度も感じる。
空っぽになってしまった感覚。否定されることに怯えてる。それは自分に自信がないから。

あまり親しくない人や初対面の人と話すとき、昔は話題に困ったら自分のことをネタにしてでも盛り上げようと思っていた。それがいつしか自分に自信を失くしていくおかげで、その手は使えなくなって、相手から引き出すことに注力するようになった。話が聞けて面白い反面、話すのが苦手な相手だと、結局自分が話すことになる。女性ならともかく、男性相手だと自分の情報はなるべく出さないようにしたいと思ってしまい、相当気疲れする。
居ない人をネタにする、そんな世界で自分に言及されたくないのもある。されるのは仕方ないにしても、できるだけ弱みを握られたくない。こうして文字にすると、自分のちっぽけなプライドに笑わされる。気を許せたらいっぱい喋りたいんだけどね。

学生時代のように、いろんな人や世界の話を聞きたいという貪欲な気持ちも薄れてきていることに気づいた。だから最近また、質問して話してもらうようにしてる。自分を取り戻そうとしながら、時に自己防衛だなと心で苦笑して。どちらにせよ答えを求められるのが好きじゃないのは、正解じゃないものを言って否定されるのが怖いから。


最近、休み前は「早く次の出勤しなきゃ」って焦るし、休み中は「このままずっと休みだったら…」って思うし、出勤前日の夜は翌日に対して不安で仕方なくなる。寝たら次の日がきちゃうから眠れなくなる。でも朝起きたら、早く寝なかったことに後悔するの。やられてるね。

夢のひとつだった、イベントに関わる機会は増えたけど、自分で企画してる訳じゃない。たまたま自分の近くで、誰かが企画してくれただけ。

それでも、そんな偶然に巡り会える場所を、離れたくないと思う自分が居る。
いつかこの場所で。もっと大きな何処かで。そんな風に期待してやまない自分が居る。

先を見ていられるから心を保てる。その前に積み重なるのは今だということも分かってる。
ただしこれが本当に、思い描く未来に辿り着くための「正しい」今なのかが分からなくなってきてる。それはきっとゴール自体がブレているから。
フェスみたいなことがやりたい。好きなこと・ひとばかり集めたお祭り。先駆者が居るから一捻りしなくちゃいけないけど。自分の企画で人が集まって、喜んでくれるのが好き。そこはずっと変わらない。

“やれないの? やんないの?”
って問う曲のタイトルはシンプルに『Yes? No?』。

磨かれるつもりで磨り減らされていく感覚。言葉にすれば容易くコントロールできる感情。頑張ると言えば頑張れるし、ダメだと思えばダメになる。
自分を信頼してやらなくちゃな、とは思う。

信頼どころか信用も難しい中で、どう生きていくか、ある程度のところで割り切らないとリアルに死んでしまいそう。
家族も居る中で死んではいられない。

強くなれる、ならざるを得ない理由があって、哀しくも嬉しくも思いながら、今日も精一杯やるだけ。すこしでも多く笑ってたい。