Sing a song for today

明日を憂う前に、今日を生きる。今日を唄う。

愛情を保てる距離

 

 

宇宙飛行士への手紙

宇宙飛行士への手紙

 

 
「距離があるから愛せる」という持論を展開し続けてきた。
一番の理由は、一人暮らしを始めてから、喧嘩ばかりしていた親を大事に想えるようになったこと。
恋人ともずっと一緒に居ると疲れるし。笑
ある程度の距離を保っていたほうが、愛情を持ち続けていられると信じてきた。
 

でもそれは、距離に相当する愛情で満足しようとしていたからだと、気づいてしまった。
愛されていることを条件に、愛そうとしてきたから。
愛されないのが怖いから、すこしの愛情で満足できるように、距離をとることで自分を安心させているのだと。
それ故に、近づきすぎると怖くなって、離れてしまうこともある。


居場所作りが苦手だし、恐怖を感じることさえある。
居場所が無いことの気まずさは十分経験済で、だからこそ高校では沢山居場所をつくりたいと思っていた。
いまでも沢山欲しがってる。
 
けれど「決まったコミュニティが無い」ことが、時折哀しみとなって襲ってくる。たとえば、文化祭で毎年一緒に周るような関係。
日々あたらしいひとと出会っているし、都合もあるのだから(年齢を重ねれば尚更)必ずしも同行できる訳ではない。そんなことは分かっていても、「今年は誰と行く?」といったときに、パッと浮かべられる“固定メンバー”が存在していない。いつも、誰を誘えばいいか困ってしまう。
イベント主体で考えたら、すこしは楽になれそうなのにね。


どこにでも行けるから、どこにも行けない。
この劣等感は死ぬまで抱え続ける気がする。
仲良くしてくれてるひとたちのことは、信じてるし、大好きなんだけどね。
友達が居ない期間が長すぎたのかな。笑
 

中高時代の友人たちと仲良くしていられるのは(もちろん好きだからという理由が一番だけれど!)ずっと一緒に居ることが当たり前ではないからかな、と思った。求めてしまうものが少なくなるから。
もちろんどうでもいいひととは切れていくし、こんなことを書いても変わらずに居てくれると信じられるようになったから、書いている訳だけど。
久しぶりに会っても、昨日も会ったみたいに楽しく過ごせて、いつも幸せにしてもらってる。
 
その意味では、大学で友人と呼べる人はまだまだ少ない。これが卒業して働くようになったら、また変わってくるのかもしれない。
最近は曖昧になっていたけど、やはり自分の中で、友人と知人は区別されている。
「愛されたいならまず自分から愛しなさい」とはよく言ったもので。


真っ直ぐに向かってきてくれるひとに引け目を感じるのは、自分がそう出来ないから。
足りないのは信じる心。他人を、そして自分自身を。
 
もっともっと多くのひとを、怖気づかずに、愛してみたい。