Sing a song for today

明日を憂う前に、今日を生きる。今日を唄う。

悩んだり怒ったり泣いちゃったりしながら

お腹が痛すぎて起き上がれず、はじめて会社を休んだ。病院に行くにも真っ直ぐに歩けず断念、水を飲むためにベッドと台所をよろよろと往復する様は我ながら惨めだった。

食欲も失ったのには笑った。夏バテしたって熱を出したって、ご飯を食べられなくなったりしないのに。

翌日お腹をさすりながら病院へ。診断は流行りの胃腸風邪。先生や看護師さんの穏やかな話し方に驚き、自分や周りが普段どれだけ声(と気)を張っているのだろうと思うと頭がクラクラした。
生まれてはじめての点滴はビビった割に全く痛くなくて、チューブの繋がる左手を「冷えるといけないからね」と布団の中に入れてもらった。故郷の母を思い出した。
自分のためにぽとりぽとりと落ちてくる雫を見つめながら、「優しくされたがってるんだなぁ」なんて思った。

◇◇

数日ぶりの出勤、突然休んでしまったのに、皆さんに温かく接していただいた。
「3ヶ月以内にみんな体調崩すものなんだよ、頑張ってる証拠だからさ」と言っていただいたときには不覚にも涙が出そうになった。まだまだ出来ないことばかりで、居るだけ手間をかけている自覚はおおいにあって。気を遣っていただいて申し訳なく、それ以上に、有難く思う。

◇◇

「新入社員の育ち方=先輩方の育て方」として評価されることは想像に難くないし、支社全体の評価に繋がることだって分かってる。だからこそ早く成長しなければと焦り、苛立つ。1出来るようになれば出来ないことが5も10も見えてきて。
 
そんな日々の悪役は結局自分に帰結するし、それはつまり「もっと良くなれる」という自分への期待の表れでもある。自分を憎んでいるように見えて、誰よりも信じている。

◇◇

いまいち上手くやれない日々。そこそこやれてた頃はこんなに人の目を気にしてなかったし、失敗することを恐れてもなかった。良くも悪くも遠慮なく。「出来る子」に甘んじていられた頃、根拠のない自信に満ちていた。

嫌われたくない。それが第一にきてしまうことを恥じ、悔やむ。

毎日失敗ばかりしてる気がしてたけど、できたときに褒められてないだけ。そしてそれって当たり前のこと。成長するにつれて叱られなくなるだけで、褒められたときはよっぽど凄いときなのかも。そう思うと褒められるために頑張りたいとも思える。

◇◇

「もっとこうした方が良いよ」ってアドバイスや注意をしてもらえるうちが華。更生の余地があるということ。言う気も失せるほど呆れ果ててしまわれる前に、まずは言われたことを完璧にこなせるように。それに慣れたらプラスアルファで返せるように。

157cmのままでは背伸びしたって180cmにはなれない。167cmになって、ヒールを履いて背伸びもできるようになれば、見える世界が変わるのかも。
もう入口から何歩か進んでいるのだから、進む資格がない訳じゃない。ちょっと複雑な迷路で方向を見失ってるだけ。

そんな風に自分で自分を信じてやらないと、夢なんてきっといつまでも叶わない。叶えるから「夢」と呼べるのであって、志半ばでは「願望」に過ぎないのだから。

◇◇

「真面目にやりすぎない」ことが大切だと諭してくださる先輩は、「心が折れたらお終い」だとも仰っていた。

いっぱいいっぱいだった時期、持って生まれたものについて言及され、自分そのものを否定されたようでしばらく引きずっていた。そのことを母にメールすると「あんたの良いところはあんたが思ってる十倍はあるのよ」との返信。その夜、部屋でひとり泣いた。

折れたってくっつければ良い。そのためには自分にとっての接着剤を沢山知っておく。モノでもコトでもヒトでもいいから、バリエーション豊富に。ひとつしかない心、失くしてしまう訳にはいかないのだ。

“怒られるけれどへこまない
タタカレてもヘコまない
そんな歌すら口遊んで。

日々是更新。
すこしでも早く、笑って振り返れるように。