Sing a song for today

明日を憂う前に、今日を生きる。今日を唄う。

「大丈夫」の向こう側

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実家で火事が起きたと連絡がきたのは就職2日前のこと。幸いにも家族は無事だった。
何年もかけて集めてきたものが一夜にして失われてしまう、その儚さに愕然とした。人がそんな風に消えてしまわなかったことが奇跡のように思えた。

出身地を答えれば十中八九「震災は大丈夫でしたか?」と訊かれ、有難く思うのと同時に、人は案外「大丈夫」の先に想いを馳せられないのかもしれないと感じてきた。「大丈夫じゃない」という答えは時に想定されていない。辛いとわかっていて訊けば覚悟はできるけど、「実は」を受けとめられる人がどれだけ居るのかと思う。
心配してもらえるのは、言うまでもなく感謝に堪えないこと。けれど時たま訪れる「心配してあげてるのに」という「善意」に屈せざるを得ない瞬間、死を覚悟する。たいして親しくない人からの、上っ面の言葉くらいだけどね。
こんなことを考えているから、大丈夫かと確認するのはなかなか怖い。祖父も大丈夫大丈夫と言いながら呆気なく死んでしまったし。

励ましの言葉って難しい。ひとつひとつ丁寧に選んでも、解釈の些細な違いで傷つけてしまったりする。

火事の件、「何かあればいつでも遠慮なく声かけて」なんて言ってくれる人たちが予想外に多く、優しい友人知人との繋がりに改めて感謝の念を抱いた。家族はおろか私の心配までしてくれる人たちばかりで、「無理しないでね」「何でも言ってね」という言葉に救われる想いだった。入社前というタイミングや私の性格をわかってくれていて、気遣ってくれる言葉のそれぞれが思いやりに溢れていて涙が出た。グループ内で言わせた感あった人も居て申し訳なかったけど、共有してくれた優しさが有難く、嬉しかった。SNSのみならずメールやLINEで連絡をくれた人も多く、「生かされている」とはこういうときに実感するのだなと改めて思った。

一方で「頑張れ」「負けるな」という言葉に噛み合わなさを覚え、落ち込みたかった自分を見つけた。甘えていたかったのだなと、励ましてくれる気持ちに一瞬でも応えられなかった自らの幼さを恥じる。すぐ受けとめられるほど強くなかったみたい。家族のためにも私がしっかりしていなきゃね。

震災当時も火事のときも家にはおらず、家族の大変さは分かち合えていない。どっちつかずのスタンス。完璧に支援する側でもなければ、される側でもない。心配したいし、されていたい。実家が(実質)失われてしまったことを哀しみたい一方で、高みの見物感を拭えず苦しい。

先日の帰省中に母親が救急車で運ばれて(よく考えると厄払いを勧めるレベル…)、大事なかったとはいえ、嫌でも終わりを意識させられてぞっとした。何も返せないまま失ってしまう恐怖が頭をよぎった。働き始めたら親の死に目には会えないというけど、大学生の頃からその練習をして親不孝だったかな。翌日の友人たちと会う予定を気にしていたあたり、根拠のない信頼の類と薄情さの類の同居に、心ごと捩じられている感覚さえあったのを思い出す。働かせておいて「無理しないでね」といつも無難な言葉しかかけられないのがあまりに情けなく、同時に真意が伝わっていない気がして歯痒く思う。余裕がないと他人の感情までは受け取れない。

大丈夫か訊かれたときには、その気持ちを汲めるようでありたい。動揺しているときにはなかなか難しいけれど、優しさを感じられる人でありたい。
感情は受け手のものだとつくづく思う。優しくしたつもりでも相手がそう受け取らなければ、それは優しさとして成り立たない。逆に何気ない行為を優しさとして感謝されるときもある。

何にせよ言うときも言われるときも、「大丈夫」の向こう側に想いを馳せていられる人でありたい。
新生活にも慣れながら家族のことを考えていられるように、気を強く保つこと。頼りにできる人たちが大勢居ると改めてわかったから、頑張れる気がしてる。

挫けたときは頼りにしちゃうと思うけど、余裕があれば、笑いかけてもらえたら嬉しいです。心からの感謝をあなたに。