Sing a song for today

明日を憂う前に、今日を生きる。今日を唄う。

その現状は自分が望んだ結果

f:id:stardustarp:20140223203742j:plain


あくまでも、挑戦する権利とか、人生に対する主導権がある場合に限るけど。現状は自分が選び取った結果なのだということを、忘れたくないなと思う。
「その状態で生きていけているから、変えようとしていないから、そこに止まり続けているのだ」と思ったことが何度もある。
自分ではどうしようもないこともあるけど、どうにかできるのであれば、どうしてやらない(やれない)のかという話。

他人の指摘はだいたい当たる。
その専攻を選んだって関係ある職には就けないよ、とか。
覆すには相当の気合が必要。身を置く環境の中で、流されずに自分を保ち続けるのは容易いことではない。
その環境で生きていく中で、考えが変わるときもあるし、それが自分で受け入れられるものなら構わないとも思う。
ただ、たとえば外に出ていかない限り、恋人はおろか友人もできないし、「結婚できないと思う」なんて自分を型にはめてしまったら、できるものもできなくなる気がしている。「変われない」のではなく「変わろうとしていない」ときもある。

努力が必ずしも報われる訳ではないけど、目標ごとに適切な努力の仕方がある。自分に合うやり方を見つけるのが早ければ早いほど、成功に近づける。
これはいつも反省していることだけど、目先の楽しさよりも苦しさを取らなければいけないときがある。息抜きが長すぎると現実に戻ってこられなくなる。
不満を漏らしながら生きていくのなら、結局その現状は自分が望んだ結果なんじゃないかな。

まあ、楽しさに目を向けられるのは余裕があるのであって、生きるか死ぬかが問われているときに「楽しいか楽しくないか」なんて考える余裕はないのだけど。
「幸せ」っていう概念を知ってること、それ自体が幸せなことなんじゃないかと思う。これは相対的な幸せね。

能力あるいは努力の不足で、思い描いた未来に辿り着けないなら、アプローチの仕方を変えるか、未来そのものを変えるか。会いたいひとに会って、したいことをして、なりたい自分に近づいていくのが、一番かっこいい。
いつだって望んだ人生を生きていきたいし、そのために努力できる自分でありたい。


(photo by pakutaso.com)