詩を織るように
自分の考えた通りに生きなければならない。そうでないと、自分が生きた通りに考えてしまう。
by ブールジュ
— Copy writing (@Copy__writing) December 22, 2013
じわじわ刺さってくる、と思った。
思い描いた未来のようには生きられなくて、その時々で得られた環境の中で、どう生きるか。そんな風に考えてきた自分が居るから。
「ビジョンを持つこと」の大切さを説いているのだと解釈してみる。
「生きた通りに考える」って、どういうことだろう。流されるまま、自分が無いまま生きてしまったら、どんどんそういう考え方になる、ということかな。妥協していくたび怠惰になっていく、とか。
考えた通りに生きていけたら素敵だけど、夢から覚める瞬間がくる。予定が狂う瞬間がある。
多くを知っていくうちに、限界や向き不向きを感じる。
不足しているのが能力なのか努力なのかは、人によるけれど。
他に興味が移っていくことだってある。
それは、考えた通りに生きられなかったことになるのかな。
その都度 考えて、どの局面でも主体的に生きていくこと。それを「考えた通りに生きる」ことと解釈したら、駄目かな。
「あるはずだった今」にいつまでも固執することを、勿体なく感じたことがある。進んだ道で、行けなかった道に近づこうと頑張るのは悪くないけど、進んだ道も目一杯楽しみたい。進んだ道でしか得られなかったものがあるはずだから。結果論だとしてもね。
どの場面が欠けたら、いま在るもの(ひと・ことを含めて)を失くしてしまうのだろう、と考えれば恐ろしくなる。間違えたことも、無かったことにしたいことも沢山あるけど、それがあるからこその今なんだろうなと思う。忘れてほしいこと、沢山あるけどね。笑
出来すぎた結末は気持ちが悪いし、神様は居なくても、運命的なものは信じている。
「予定不調和」を謳歌していけたらいいな。
たとえるならば、詩を織るように。
切りとって紡ぐ物語。
My life is my message.
いつか胸を張って言えるように。