Sing a song for today

明日を憂う前に、今日を生きる。今日を唄う。

離れても側にいる 気でいるよ

サザンクロス

サザンクロス

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

河北新報特別縮刷版 3.11東日本大震災1ヵ月の記録

河北新報特別縮刷版 3.11東日本大震災1ヵ月の記録


少しずつ薄れ行く記憶の中で、未だにはっきり思い出せることがある。
不安に駆られながら無事を祈る気持ち。
出来ることが無いか必死に探した日々。
心配されたり、やさしくされたり。
暗い部屋で見つめた光。

故郷は東北でも身を置いていたのは東京で。
完全には分かち合えなくて、
だけど無関係でもなくて、
「地元」とのスタンスの差に悩んだ。
今だってそうだ。
当事者でもなければ部外者でもなく。
難しく考えても仕方ないことだけれど。

始まったことも終わったこともあった。
震災以外でも失くした。
でも得たものも沢山あって、生きてる。

何年経っても不思議というか疑問なのは、
「東北出身です」って言ったとき
「ご家族は大丈夫だったんですか?」
って聞ける精神力の高さだなって(親切心なのは承知の上で)。
なくしたものやひとを答えたら「そんなこと聞いてごめんなさい」ってなるでしょ。でも先に謝られたら「いいよ」としか言えない。
私は震災では何も失くしてないけど、だからこそ、答えるのに躊躇うのかも。

結局のところ(自分も含め)他人のことは想像するしかなくて、それが正しいか間違ってるかも相手次第かつ十人十色だったりするから、完璧な正解なんてたぶん無いんだろうね。

この日しか意識しない人も居るだろうけど、この日だけでも意識するって大切だと個人的には思う。出来ることがあれば1でもやるのと、全くやらないのとでは全然違うし。
想うのを強制するのも変で、そういうのこそ自発的であってほしい。実務的なこととはまた別でね。

以下ツイートの備忘録。
防災関連はほんと見直さないと。

 



明日も最初は笑顔ではじめよう

やっちゃった! !  (CD+DVD) (初回生産限定盤A)

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やっちゃった! !  (CD+DVD) (初回生産限定盤B)

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キスマイBUSAIKU!?」を観ながら真面目に書き上げてたら、二階堂さんの発言が身に沁みて泣けた。本当は中居さんのドッキリを面白がる回だったんだけど。

≫落ち込む彼女(マイコ)を慰めるシチュエーション。
「マイコを怒ってくれるってことはマイコをよくしようとしてくれてるから」


自分がどんな存在か、何に躓いているか。いま思ってることを一通り書いてみたところだった。
客観的に見つめてみたら、恥ずかしくてとても晒せず、周りを見れていない証拠が浮かび上がった。

全く逆の自分にでもなって、新天地でやり直したい気持ち。でもここで変わらなかったらきっとどこに行っても同じだ。
明日に怯えてみる。


≫努力次第で誰でもなれる! 愛されキャラになるための秘訣2つ

「壁を作ってる」「心を開いてない」って言われ続ける中で、どこか遠慮したり、(自分に自信がない故に)信頼できなかったりしていて。それが相手にも伝わるからギクシャクして、信頼はおろか信用すらしてもらえなくなる。その悪循環。
それでも色々言ってもらえる状況に甘えてきた。

気遣いや思いやりの不足。自分の事で精一杯なのも然り、あまりそういうのを必要とされずに生きてこれたからだとも思う。サバサバした友人とばかり付き合い、先輩方にも甘やかされて。
相手の気持ちになり考えることの大切さなんて、小学生の時に嫌というほど学んだはずなのに、いつしか忘れてしまったのだと思い知る。

きっとしばらく直属の後輩は出来ないから、
自分が付き合いたいと思うような友人に、後輩に、部下に、取引先になる。
居ても良い、居た方が良いって思ってもらえるように。
怒られるのは嫌だけど、怒る方も嫌だなんてわかってる。褒められなくてもまずは怒られずに、怒ることをさせずに、生きる。

“明日も最初は笑顔ではじめよう”

Kiss魂 (CD+DVD) (初回生産限定盤A)

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🎥 映画【君が生きた証】:弔いの唄

※ネタバレ含みます※

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■原題と邦題
原題は「RUDDERLESS」。劇中ではバンド名として使用され、日本語字幕では“舵のない船”と意訳されていた。若いバンドメンバーはそのバンド名について「ちょっとカッコつけすぎたかな」とか言ってたけど、ボートで暮らすサムの生活やクエンティンの生い立ち等々、色々なものを表す単語だった。

邦題は「君が生きた証」。賛否両論あるみたいだけど、わたしは上手くつけたなと思う。導入から既にミスリードは始まっていたのだ。

■息子を失った父親の再生と贖罪
脚本のミスリードにまんまとひっかかり、中盤で明かされる真実に衝撃を受ける。単なる「息子を失った父親の再生物語」ではない。サムの息子ジョシュは「撃たれて」ではなく「撃って」死んだのだった(※自殺か警察の発砲なのかは分からない)。サムがマスコミに追い回されていたのは加害者の父親だったから。息子を失った哀しみで堕落したのではなく、社会的に殺されたのだと思うと見方が変わってくる。遺品を受け取りたくなかったのも、息子の死という事実だけでなく、その理由を受け入れたくなかったのだと。

観賞前のレビューで目にしていた「贖罪」とは、中盤まで「父が息子を理解できないまま失ってしまった」ことに対してだと思っていた。が、そこには「他人の命を奪ってしまった」ことが含まれていたのだ。

ジョシュの犯行理由を明かさないところも色々な想像ができて興味深い。母親が自身に言い聞かせるように言ったのは「あの子は病気だった」。 イライラが募り衝動的に撃ったのだろうか。
パンフレットのメイシー監督インタビューを読むとあえて描かなかったことがわかる。たしかに加害者家族はある種の被害者なのかもしれないと思った。それでも、子供の責任は親にあるとも思うけれど。

サムはジョシュの唄を歌うことで、少しずつ彼を(無意識にも)弔っていく。クエンティンに息子の面影を感じながら。息子とできなかったことを彼と。母子家庭に育ったクエンティンもまた、サムへ父親への愛情に似たものを感じていたはず。

サムが息子の曲だと打ち明けず、人前で演奏することを拒んだのは、プライドの問題なんかじゃなかった。それが「殺人犯」の曲だったからなのだ。
クエンティンがイベントでの演奏を頑なに拒否したのも、「サムに裏切られたから」なんて(ある意味)ちっぽけな理由ではなく、社会的に許されざる人間の曲だと知ってしまったから。自分たちのものとしてやり続けてはいけない曲だったからだ。

でもそれが結果的に、気弱なクエンティンに自らの曲を演らせるきっかけになったのかもしれないと思うと、皮肉なものだと思う。何人もの命を奪ったジョシュに、クエンティンは生かされたのだ。

そして死んでしまったジョシュの音楽もまた、サムやクエンティンにより生かされた。

人が本当に死ぬのは、その人のことを覚えている人が居なくなったときだというのはしばしば言われることだ。その点、作品は作者よりはるかに長く生き続ける。手に取る人、再生する人がいる限り。そうして「君が生きた証」は残り続ける。

最後、息子のことを告白してから、"My son" と繰り返し歌うサムに切なくなった。と同時に、あの瞬間「贖罪」し、息子の死を改めて受け入れられた彼は、これから少しずつ「ちゃんと」前に向かっていけるのだろうと思った。


■劇中音楽
「祈りを捧げるために用いる『手段』だった唄が、いつしか『歌うための唄』になった(=目的化)」という話がある。
この作品の中でジョシュの曲は、サムにとって贖罪の手段だったけれど、いつしかラダーレスのための曲になった。
目的を失くしても尚魅力のある音楽。ある意味で理想的だと思えるから、哀しくて笑えてしまう。

「ちょっとやってみた」と曲をどんどんバンドサウンドにしてしまうクエンティンたちが微笑ましかった。バンド組みたかったんだなぁって。ギターロックが帯びる若さと情熱。若い3人に囲まれたときのサムはおじさんではなく、まるで若者だった。

ジョシュのオリジナル(アコギ弾き語り)にはジョン・メイヤーのファーストアルバム【Room For Squares】を想起したし、クエンティンたちによるバンド演奏は観客と一緒に踊りたくてたまらなくなった。

各曲のクオリティが本当に高くて、サントラが欲しくなったので調べてみたら、以前お仕事で関わらせていただいたレーベルから出てた。近いうちに買うかも。

この映画、俳優陣が唄も楽器もお上手なのが素晴らしい。クエンティン役のアントン・イェルチンのバンド音源も聴いてみたいな。

★5:結末を知った上でもう一度=計2回以上観たい作品。

君が生きた証

君が生きた証

愛はいつも君の中で光る


あまりに疲弊した夜、思わず呟いていた。

「かつて喉から手が出るほど欲しかった未来、手に入れたときにはもう欲しくなくなってる。夢にも賞味期限があるのかもしれない。もうこの未来は美味しくない。」

同い年のフォロワーさんから言葉が返ってくる。

「美味しくなくなってしまったことがたまらなく悲しくて、認めたくない時はどうすれば良いのでしょうか」

そのまま続く会話。

「①美味しくなるように味付けを変える
②「美味しくなぁれ♡」って魔法をかけるw
③お腹壊すのが嫌だから別の美味しいものを探す
とかとか。」

「②にして 萌え萌えキュンキュン♡ばりの呪文を唱えるコースにする!。・*・:≡( ε:)笑
美味しくないわけがないんだもの。」

「いいね!笑
そうだよねぇ、味覚が変わっちゃった気もするけど、美味しいって思ってた頃の自分を取り戻せたら良いなぁとは思う。。」


上長から、来期やりたいことを聞いてもらえた。
その場では満足に答えられなかったけど、1日猶予をもらって考えてみたら色々出てきた。

“好きなのってなんだろう
したいのってなんだろう
大切にすべき事さえ見失うのかい”


アラカルトのイメージだった未来は案外バイキングで、並べられた料理の中に、まだ食べてみたいものが残ってる。
でも現状は、和食が好きなことを自覚(そして一応主張)しながら、並ぶのが嫌で、すぐ入れる多国籍料理のバイキングに来てしまったが故に和食にありつけてない感じ。そしてそこの和食が美味しいかどうかは分からない。みたいな。

でもまだまだフレンチもイタリアンも中華も、タイ料理もバスク料理も、何でも食べてみたい感じ。

実際、この前カエルの唐揚げを初めて食べたんだけど、普通に鶏肉みたいで美味しかったので(笑)、食わず嫌いしないで何でも好きになる努力はしたい。

辞めたいと思うほどまだ仕事してない。
私の中だけで光らせておくには勿体ない、この愛。

🎥 映画【永遠の0】:生きたいと言えなかった時代


テレ東でドラマ版が放送されてたので、書きかけだったものを引っ張り出してきた。

▼時代感と主人公
・死を死でもって弔おうとする時代の異常さ。突き進むしかなかった哀しさ。違う世界の出来事のようで、たしかに現実に起きていることだと思うと恐ろしくなる。愛する人のために生きることは許されず、死ぬことが美徳とされた時代。
岡田准一さん演じる宮部久蔵は、家族想いの賢いひと。誤った方向へと突き進む軍の上層部との対比。

▼被害者
風立ちぬ】を観たときもそうだったけど、私は薄幸のヒロインに弱い。感情移入してだいたい泣く。健気に頑張る奥さん。死の便りは必ずしも届かない中、信じることしかできない辛さ。
最前線で戦うのは男性でも、女性だって子どもだって搾取されたり酷い思いをさせられたりしていて、国民は戦争の前で等しく被害者なのだと改めて思う。

▼若者像
途中で出てくる友人たち&合コン相手の女達が、いかにも馬鹿っぽくて呆れた。今時の若者像のつもりかもだけど、「サイパン沖縄ハワイ」なんてわかりやすいチョイスするか!笑。そもそも4年も司法浪人してる奴を合コンに誘うか…。
「若者は何も考えてない」って言われた気分になった。

▼気になったところ
全体的に悪くなかったけど、終盤のおじいちゃんの台詞は若干押し付けがましく感じた。「生き残るとはそういうことだ」とか、観た側が感じればいいことであって。ここでも若者が見くびられてるように感じてしまった。

▼全体
・戦時中と現代、2軸で描き出される様は観ていて不思議な気分にさせられた。確実に連続していることを実感する。
・「犠牲の上に自身の生が成り立つ」というのが、入れたかった思想のひとつなのかなと。
・「戦争は良くない」という思想は良くも悪くも押し付けてこない。ただし戦争そのものは否定しつつも、特攻隊個人へ感情移入させられることによって、どこか礼賛・美化している風になっているのが気にかかった。
・原作読めてなくて、映画観た後は読む気もなくなってしまったのだけど、著者の別作品も合わせて読んでみて、また考えたい。

永遠の0 (講談社文庫)

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海賊とよばれた男 上

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モンスター (幻冬舎文庫)

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★4